ネロが死んだ日。
ネロが死んだ日。
しばらく便りがなくなるのですね。寂しくなるな。
今までを振り返りたくてアーカイブを開こうとして気がつきました。ここは思いをしまっておく引き出しなんだ。開ければ思いが風化することなくいつでもここにある。
忘れたくないあの日は、ここにしまっておけば良いのだ。いつか呆けて記憶が薄れても、ここを開けばあの日が鮮やかに甦ってくるに違いない。だからこれは、私への便りです。
16年間一緒に暮らした犬、ネロが死んだ日の話です。
見た事もないよその犬の話ほどつまらないものはないから、付き合っていられないと思ったら引き出しを締めちゃってください。
あの日、いつもは朝起きるなりご飯ご飯と騒ぐのに、餌の入っている器のところまで歩いては来たけれど、ただぼーっと見ているだけでした。ラブラドールが食べなくなったらおしまいと言われています。ついにその日が来たか。手のひらにとって口元に持っていくと、いつものようにガツガツと、残さず完食です。なんだ、寝ぼけていたのか。元気じゃないか。私たちが食事をしている間は足元に伏せて、いつものようにおやつをねだります。
その日は病院のリハビリの日でした。手術後の、膝を曲げたりのばしたりの機能回復は順調に進んでいるのですが、50日の入院生活で体力筋力ガタ落ち。なんとか取り戻さなくてはとマシーンの筋トレを加えて、リハビリが終わるとその足でトレーニングルームに行くのがルーティーンになっているのですが、あの日はぼんやりしていて、気がついたら帰りのバス停の前。あらやだ、筋トレするの忘れちゃっている。引き返そうかな。でも、バスがすぐそこまで来ている。運行まばらな時間帯。逃すは勿体無い。筋トレはこの次にしよう。
バスは乗り降りに時間がかかります。観光客が大勢降りて、ようやっと動き出した時、夫からLINEが入ってきました。
「ネロさんの様子がおかしい。意識が朦朧としているみたい」
時間を見ると11時58分。今度の船は12時15分。この船で帰りたいけれど、どうやっても無理だなー。次は1時15分か。
次の停留所に近づいてバスがゆっくりになって、降りる人はいない、乗る人はいない、そのまま通り過ぎました。次のバス停も乗降者はなく通り過ぎます。バス停は目的地終点まで、あと10個ちょっと。乗っているのは、後ろを振り返って見ると、誰もいない、私一人。バスはその先1箇所も止まることなく貸切状態で、信号にも引っかからず、フェリー出港2分前につきました。12時15分発に乗れました。
ネロは庭にいました。
「さっきまではそこの階段の所にいたんだけれどね」
畑へ行く降り口で、ネロは半開きになっているフェンスの扉を押し開けて、よく畑仕事を覗きにきていました。
「母さんがいるかもしれないと、探していたのかもな。いないんで諦めて、ほら、あそこに」
庭の端の桜の根元に、影のような黒い塊が見えます。近づくと尻尾がパタンパタンと動きます。
「ここで待っていてくれたの。ただいま。遅くなってごめん。さ、お家に入ろ」
首にリードをかけると、よっこらしょと立ち上がって、庭を突っ切って、階段はちょっと無理かもしれないから、こっちから回ろう。外のフェンス沿いの緩い坂道を歩きます。昨日の夕方の散歩と変わらぬ足取りです。玄関でリードを外すと、上り框をヨイショと上がって、そのままお気に入りのマットまで自力で歩いていって、どたんと倒れ込みます。頭がマットから落ちちゃっている。直して寝室で着替えていると
「ネロが変だよー。きたほうがいいよー」
夫の慌てた声。
「ちょこっとオシッコ漏らしたみたい。シート持ってきてー」 初めてのお漏らしです。数年前まで飼っていた犬のが残っていたはず。どこだ、どこにいった。探していると
「もういいから、早くこーい」
息遣いが荒くなっています。夫が犬医者に電話をかけています。頭を抱いてやります。
「大丈夫だよ。父さんも母さんもここにいるよ」
夫が電話先の医者に様子を話しています。
「だめー。息が止まった。息をしなくなっちゃったー」
目は私を見ています。でも息をしていない。
死んじゃった。ネロが死んじゃった。本当に死んじゃった。
2月15日12時50分。私の腕の中で、ネロが息をしなくなりました。様子がおかしいと知らせてきてからちょうど1時間あとです。次の船に乗っていたら間に合いませんでした。
あそこからバスで15分足らずで渡船場に着くなんて奇跡だと友人は言います。ネロの母さんに会いたい一心が時に魔法をかけたに違いないと言います。
ネロは5月に余命二ヶ月と言われて、その二ヶ月が過ぎても生きていて、8月の誕生日まで生きているかなともったら以前より元気で15歳になって、大型犬で15歳は充分長寿です。9月私が退院する日まで生きていて欲しい。生きていました。
11月、ワクチン接種に医者に連れていったら、 「元気だねえ、血管肉腫で余命宣告を超えて生きた犬は、今までたくさんの犬を診てきたけれど、ネロちゃんが2頭目。それも高齢犬はネロちゃんが初めて。こんなに元気でいるなんて、奇跡だね。奇跡の犬ですね。頑張って20歳まで生きよう。生きられますよ」
誰もがネロはずーっと生き続ける、死ぬことを忘れた犬と思っていました。でも死んじゃった。
死んで一ヶ月ちょっとたった今、ネロがいないことにまだなれません。あら、どこにいった。目が探します。 これはネロの分とおかずをほんの一箸お皿に残して、そうだ、もういないんだな。時々爪がかしゃっと床を擦る、歩く音が聞こえます。物陰に黒いものを見ると、あら、ネロがいる。
気配って残るんだよという人がいます。だったらずーっと残っていてほしい。
虹の橋を渡ったネロちゃんへと手紙が来ました。
ネロ、そんな橋はわたるなー。お化けになってもいいから、この家にいなさい。私のそばにいて欲しい。ネロの大好きな、畑の脇の草むらを、刈らずに残しておきましょう。

2009年に住み慣れた東京の自宅を引き払い、舅の檀一雄の終の住処だった福岡県能古島へ移り住む。以来、自家菜園で土を耕し種を蒔き、四季折々のスローライフを楽しんでいます。 能古島の晴子スタイルは、『檀流スローライフ クッキング』でどうぞ。