去年の夏、膝の修理で一ヶ月半ほど入院しました。
去年の夏、膝の修理で一ヶ月半ほど入院しました。
去年の夏、膝の手術をしました。
リハビリが翌日から始まりました。目標は、二本の足で支え無しで立てて、歩けて、自転車(トレーニング用です)が漕げて、階段の上り下りができるようになること。これができたら退院です。一ヶ月半ほどかかると言われました。
ネロはそれまで待っていてくれるかな。
ネロとは我が家の溺愛犬。黒のラブラドール、牝、15歳。おとなしくて優しい犬です。赤ちゃんが鼻に指を突っ込んだり耳を引っ張ったりしても、じっとしてされるがままにしています。言う事をよく聞くのでどこにでも連れていかれます。大型犬OKの宿を探してあちこち旅行もしました。いつも一緒です。
老いが足に来て、最近は立ち上がるによっこらしょになったけれど、病気もせずに元気にしていましたが、春の初め、突然ごはんを食べなくなりました。一大事です。食欲の塊のラブが食べなくなったらお終いと言われています。エライコッチャと医者に連れて行ったら、脾臓が腫れていました。手術をしたら途端に元気になって、ごはんをガツガツ食べるようになって、正しいラブに戻ったねと喜んでいたら、組織検査の結果を知らせてきました。
「血管肉腫、癌です。余命二ヶ月です」
犬の寿命は人より短いから、遅かれ早かれ別れの時はやってくる。でもこんな形で来るとはねえ。期限を切られると辛い。
リミットの二ヶ月が経ちました。ネロは元気です。器も食べてしまいそうな勢いでごはんを食べています。
それから1週間経って、2週間経って、元気です。毛並みもツヤツヤしています。おまえ、近々死ぬって本当かい?死ぬ死ぬ詐欺だね。
そして私の入院の日がやってきて、この日ネロはもう居ないのだと思っていたけれど、ちゃんと目の前にいます。
今から出かけるからね。いつもより少し長くなるけど、ちゃんと帰ってくるから待っててね。待て、だよ。
「ネロ、マテ」
しっかり言い聞かせました。
一日も早く退院したかった。リハビリの頑張りが回復の早さに繋がると聞いて、一生懸命励みました。
リハビリは午前午後の二回。リハビリ室に行って療法士のああしろこうしろの指導にしたがって脚を曲げたり伸ばしたりを小一時間。出来たら病室でもやるように。自主トレです。出来ます。やります。直すためにここにいるんだから、やれと言われればなんだってやります。
主治医は回診に来る度に、
「いいねえ、順調だ。この調子でリハビリを頑張ろう」
私の体の中で何がどうなっているのか全くわからず、医者が良いと言っているのだから良いのだろう。
昨日は何かにつかまらなければ立っていられなかったのが、今日は二本の足だけで立っている。でもぐらついて脚を前に踏み出すことはまだできない。歩くってこんなに大変なことなんだ。
ネロの様子は夫から毎朝LINEで知らせてきます。毎回ドキドキして開きます。
「おはよう、こちら良い天気」
のどかな文で始まると、ああまだ生きてる、ホッとします。
「朝、布団をクンクンして、母さんを探しているようでした」
ああ、早く帰ってあげたい。良い子にしてたんだねと頭を撫ぜてあげたい。
病室の周りの廊下が運動場です。車椅子で右回り左回り。ちょうどその頃テレビで連日パラリンピックの中継があって、車椅子ラグビーの自在な動きに、何てかっこいいんだろう。見入ってしまいます。
車椅子の次は松葉杖です。同じ所をぐるぐる。飽きてきました。さっき会ったナースにまた会って、徘徊老人じゃありませんよ。トレーニングでーす。
「上手ですね。早くなりましたね。もうそろそろ退院かな。先生に伺ってみました?」
時がじわじわと迫ってくるのが嫌で、いっさい聞かぬことにしていました。その日は突然でした。
主治医はいつも前触れなく病室に突然入ってきて、必要なことだけを言って、風のようにさっていく。風小僧と呼んでいました。
「治りが早い。優秀、優秀。退院だね。日曜日にかかると一日伸びちゃうから、あさって土曜がいいね。誰か迎えがいる?しばらくはリハビリに通うこと。無理はしないように。転ぶなよ。犬は元気?」
人間の年寄りと同じ、老犬は喜怒哀楽の表現が穏やかです。久しぶりの再会は、若い時だったら身体ごとぶつかってきて顔を舐め回して喜んだに違いないけれど、しっぽを静かに振って、そっと身体を寄せてきただけ。も少し喜んでくれるかと思ってたと夫に言うと、床にデレーっと寝そべっている姿を見ながら、
「いや、こんなに安心しきってゆったりしているのって、最近なかったことだよ」
さて、本日より私、家事復帰。長らくご迷惑おかけしました。久しぶりにごはんを作るといたしましょう。と、片手鍋を持つと、え?重い。まだ何にも入っていないのに、重い。この鍋は?こっちは?厚手の鍋は両手でなければ持てません。どうしちゃったの。
「サルコペニア」
恐ろしい六文字が頭に浮かびました。
筋肉喪失、筋肉が減ってしまった。
どうしよう。元に戻せるのか。どうするどうする。このまま朽ちて行くのか。
次回お話しするといたしましょう。

2009年に住み慣れた東京の自宅を引き払い、舅の檀一雄の終の住処だった福岡県能古島へ移り住む。以来、自家菜園で土を耕し種を蒔き、四季折々のスローライフを楽しんでいます。 能古島の晴子スタイルは、『檀流スローライフ クッキング』でどうぞ。