年輪を重ねて気づく日本人の美しさ
年輪を重ねて気づく日本人の美しさ
真夏日の東京を後に新緑の眩しい八ヶ岳原村の山小屋に戻ると、庭には一面に菫が咲き乱れ、レンゲツツジの蕾が茜色に色づいていました。カッコウや鶯の鳴き声、野鳥の群れが出迎え、駐車場には、留守中に里の友人が育て届けた可愛い花の寄せ植えが置いてあります。お帰り!と。
今は山菜シーズン真っ最中、フキノトウ・木の芽・タラの芽・コシアブラ・ワサビ葉摘みのアクでボロボロの手を庇いつつ、明日から里の皆の為にワラビ採りに行こう。
さて、40年通った八ヶ岳の山小屋にコロナ疎開したのは2020年早春。地元の古い友人達に挨拶に行くと、都会暮らしの連れ合いと私を案じ、ここにずっと住むといいよと皆温かく迎えてくれました。
今まで都合よく訪れた場所も生活すると景色が変わる。
八ヶ岳麓に生きる真摯な人々を通し、改めて感動した古き良き日本人の美しさをお伝えできればと思います。
先ずこの地方(諏訪エリア)の人々は働き者で、「ずく」という方言がある。
マメに懸命に働くとか、明るく元気とか地元だけ分かる意味があるが、とにかく骨身を惜しまず働く事が美徳なのです。
そして裏がなく、直球で明るくさっぱりしたお世話焼きは昔の江戸っ子によく似ている。
池之端育ちの母や湯島や神楽坂の鍼灸院仲間のおばあちゃん達を思い出します。
今回は男手を亡くしても、老母娘二人だけで完璧に農業を頑張る三浦わかさん、敦子さんを紹介します。
私は彼女達に心を浄化され、人生に多くの事を学びました。
春の苗付け時は霜の襲来がある。
ハウスで育てた苗を畑に移し、一晩で枯れる事も度々だが、めげる余裕はなく、枯れた苗を抜いて新しい苗をしっかり根付くまで何度でも苗付けをして水をやる。
時には病気の苗が販売元から配られる事も。
最初は元気だが、後弱って根腐れを起こし出荷不能の品になる。
これが二年続いたが、こんな時はわかさんの経験力の出番だ。
抜いた小さな苗の根元に細い赤い線を発見し、これは病気だからと即廃棄に。
一方、敦子さんはせっかく植えた畑中の苗を抜き、ハウスでわかさんがそれを丁寧に選別する。
「手伝おうか?」私が言うと、「お前には分からん。これが見えるか」根元の針のような微かな赤を指さした。「あ、無理。ゴミ拾いだけするね」私は自分の無能さを思い知らされる。
「百姓なんて、こんなものだ。これの繰り返しだ」黙々と作業しながらわかさんが呟く。
「年取ってもばぁちゃんはプロ。こうなると長年の経験と勘がものをいうのね」と敦子さん。
都会育ちの私はこんな苦労の積み重ねを知らず、野菜が高いと文句言っていた事を恥じた。
夏は高原野菜の最盛期。彼女達は暑くなる前の早朝に畑で野菜類を収穫し、10時には作業小屋で出荷の用意をする。
目を凝らし根気よく仕分けし、軽トラで農協に向かう。
日本の市場は規格の大きさ・形・色の野菜しか受け取らず、残りは自宅用かご近所配りになる。
敦子さんは都会に住む子供家族に段ボール詰めで送る。
この時期宅配所は家族への野菜便で行列ができる。
初物を食べて季節の風を感じて欲しい親心だ。我が家も頂きもので便乗する。
都会では時計と共に生きるが、ここは多くの人が太陽と季節に沿い、10時半のお茶タイム、12時の昼飯・3時のお茶・5時の仕事終了まで地域のチャイムと共に動いている。
採りたて野菜の我が家のお返しは、連れ合いが釣る渓流の魚や山採りきのこ・山菜等。
すると「こんな尊いものを」と喜んでくれる。
尊いとは自然の幸やその人の手や心を感じるスペシャルなもの。
腰の曲がった(本人は老化でなく進化と言う)わかさんが庭で座って、山積みのさやから取り出して集めた豆は本当に尊く感じる。
「こんなに沢山?苦労した尊いものだから頂くの悪いわ」「尊いものだから食べて欲しいの」敦子さんの心が嬉しかった。
この地域は物々交換が常で、採りたて野菜が各家を巡る。
経済は回らないが、心も一緒におすそ分け。縄文生活の匂いがある。
ある時わかさんが私にしみじみ言った。
「お前、長生きしろよ。ひ孫はな。孫の千倍も可愛いぞ。ひ孫に逢うまで生きるんだぞ」「いや、孫の方が絶対可愛い」敦子さんが口をはさむ。
二人は同じ子の事を言っているのだ。遠くてもこの二人の頑張れる心のハリなのだろう。
知り合いの関野さん(グレートジャーニー)は言う。
「アマゾンのヤノマミ族も欧米の富豪も人間の幸せって似ているんですね。家族との幸せなんです」。
青い鳥は意外と身近にいるのだ。
ハナビラタケを収穫したところ(左)和製ポルチーニのアカヤマドリ、タマゴタケ等夏きのこの収穫(右)
2014年から毎秋3週間6年間ヨーロッパきのこを学びにクロアチア訪問の後、コロナ疎開で八ヶ岳山小屋に暮らす。その間40年のきのこ採り人生。
『道草料理入門』(文化出版局)は野山の楽しさがいっぱい。写真も香りが届く美しさ。
コロナ以降は教室再開、現在は東京と八ヶ岳を往復しつつ、都会友達に山の幸を、地元には都会情報や料理を伝える。